毎日毎日、傾斜していく地方の日常に身を置いていると、救えない人たちが多く、心が苦しくなることも少なくありません。
それも、これも、この国の安全保障の柱である年金制度の崩壊が主要因ですね。
同年代には、子育てを終えた後、老後の蓄えを準備する間もなく沈んでいくであろう人たちで溢れています。
もはや形骸化した年金に希望を寄せて。
若い世代には、今後の経済成長や昇給に淡い望みを持って、搾取され続ける人たちで溢れています。
今後、おそらく満足に結婚・子育てなどできず、貧しさのなかで愛情すら見失っていくのでしょう。
そんな話を妻にしましたが、それは仕方のないことだそうです。
ウチの夫婦は、若い頃からずっと仲が良いですが、やはり数年前に家計が破綻しかけた時は、貧しさや焦りのなかでお互いの気持ちを失いかけたかもしれません。
我が家の方舟がうまく出向し、将来に対する不安がなくなった現在は、出会ってから今までで、一番良い関係性かもしれませんが。
そんなことで、時々、身近な仲間…それぞれの方舟を持つ友人に、心の苦しさを打ち明けるのですが…
それは溺れるまで何も気づかず、何も手を打たず、何も努力をしない人たちの自己責任だよ、とみんな言います。
たしかに、そんなものかもしれません。
先の投稿で書きましたが、いまだ僕のなかに残る「仲間意識」という作り物が、苦しみの原因かもしれません。
冷静に考えると、近しい視点や視野で社会に臨んでない人たちは、実は仲間ではないのでしょう。
溺れる隣人は救えない、ということですね。
溺れる人たちに神の祝福を。